2020年は新型コロナウイルスの感染拡大によって、様々な産業・場面でDXが推進されました。デジタル庁立ち上げをはじめ、行政においてもDXが推進されています。そのような中で、内閣官房ICT総合戦略室が発表した「デジタルガバメント 実現のためのグランドデザイン」ではデジタル行政におけるユーザー体験の重要性が認識されています。

日本の行政DXが推進されていく中で、優れたユーザー体験のサービスを実現する手がかりとして、Goodpatchでは2020年末から2021年初にかけて、電子政府として評価の高い海外の行政サービスについてユーザー体験の視点で独自にリサーチを行いました。

対象としたのは、電子政府ランキング上位3カ国のデンマーク、韓国、エストニアと、ユニークな行政サービスを提供しているスウェーデン、中国(上海)です。これらの国のリサーチ結果を、全5回に渡って紹介していきます。

今回は、都市別の電子政府ランキングで9位にランクインした上海を中心に、中国のリサーチ結果をご紹介します。

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デジタル先進都市、上海

これまでの記事では、2020年に国連が発表した電子政府ランキング(United Nations E-Government Survey2020)において、国別のランキングで上位にランクインした国々の行政サービスを紹介してきました。

今回取り上げる上海は、同調査の都市別ランキングでベルリンやソウルと並び9位にランクインしています。

中国全体でみると国別ランキングで45位と出遅れているものの、上海はソウルとともにアジアの都市の中で最高位につけており、デジタル先進都市といえます。

Goodpatchは、上海のデジタル行政サービスについて、公的機関などのレポートを中心としたデスクリサーチと、実際に上海で暮らす中国国民に対するインタビュー調査を行いました。

行政サービスに欠かせない「居民身分証」

中国での生活においては、「居民身分証(マイナンバーカードのようなもの。顔写真、生年月日、氏名などの情報と身分証番号が記載され、指紋情報も登録されているもの)」が欠かせません。

インタビュー対象の方も「平日にはほぼ毎日使う。学生時代はあまり使わなかったが、社会人になってからよく使うようになった。何度か身分証をうちに忘れてしまい、大変なことになった経験がある。」と話します。

中国では身分証の取得が義務化されており、普及率は99%と非常に高くなっています。行政の提供するサービスもほとんどが身分証と結び付けられています。

上海では、「一網通辦」という行政のポータルサイトと、身分証が紐づけられており、インタビュー対象者の方はこのサイトを介して様々なサービスを利用するといいます。

上海の行政サービスポータル「一網通辦」

ここからは、上海の行政サービスのポータルサイト、一網通辦について詳しくみていきましょう。

中国では、行政のサービスは省や都市ごとに運営されており、国家の直轄都市である上海は市が行政サービスを運営しています。上海は「一網通辦」というポータルサイトを運営し、オンライン上でサービスを提供しています。

一網通辦の利用登録を開始するためには、身分証に記載されているID(身分証番号)による認証が必要です。

ポータルに登録すると、住居関連の手続き、婚姻登録、社会保障、医療、観光など様々なサービスの申請をオンライン上で行うことができます。そのほかにも、会社設立や融資、法人税の納税など企業向けの手続きも一網通辦上で行うことができます。

インタビューでは、「所得税の納税や病院の予約に利用する」との声があり、生活の中の多様なシーンで一網通辦を利用していることがわかりました。

COVID-19の感染が拡大した2020年には、一網通辦上で健康コードが発行され、接触確認やPCR検査の結果確認をオンラインで行うことができるようになりました。COVID-19に関連する情報や市が発信する情報も一網通辦上で確認できるようになっており、有事の際にも市民にとってはなくてはならない存在となっています。

現在一網通辦は上海を中心に一部の地域でのみ提供されていますが、今後は国内の都市全体に展開されていく予定です。

民間IT企業と連携してDXを促進

2016年に採択された「国民経済と国家発展の第13次5ヵ年計画」には、都市へのデジタル投資の推進とスマートシティ化が盛り込まれていました。それにより、国家の要請で各都市は行政サービスのデジタル化が進められました。

そのような状況の中で、各都市は民間のIT企業と連携した様々な取り組みを行っています。上海では、2015年に騰訊(テンセント)と戦略的提携を結び、さらに2018年には同社と協力関係の強化に向けた枠組み協定を締結しました。さらに及び阿里巴巴集团(アリババグループ)、傘下の蚂蚁集团(アント・フィナンシャル)戦略合作協議を締結し、スマートシティ化に向けた強力な体制を築き上げています。

参考:中国・上海市がアリババ、テンセントとの協力関係を強化https://www.weeklybcn.com/journal/news/detail/20180828_163871.html

一網通辦でも、Wechatと連携したチャットボットサービスを展開しており、今後は蚂蚁集团が提供する決済サービスAlipayなどとの連携によるさらなるサービスの拡充が予想されます。

中国の実名制度とユーザー体験

中国ではあらゆるサービスに実名制が導入されている

ここまで、上海が提供するデジタルサービスについてみてきました。14億人に迫る世界最大の人口を有する中国において、身分証が国民の99%にまで普及し行政サービスを支えている背景には、実名制度が深く関わっています。

中国では、2010年代からチケットの購買などの行動やインターネットの利用と個人を結びつける「実名制度」の導入が始まりました。2012年からは鉄道チケットの購入に実名登録が必要になり、2013年からは携帯電話のSIMカード、2017年からはインターネットの個人アカウントに実名登録が義務化されました。ほかにも観光地でのチケット購入やホテルの予約、宅配便の発送、ドローンの使用など様々な場面で実名制が導入されています。

実名制に対して中国のユーザーは寛容的

実名制の導入に対して、ユーザーはどのように反応するのでしょうか。2020年に総務省が発表した「データの流通環境等に関する消費者の意識に関する 調査研究」によると、日本では78%、中国では74%がサービスの利用においてパーソナルデータを提供することに不安を感じると回答しました。

さらに、同省発表の「平成30年 マイナンバー制度に関する世論調査」では、マイナンバーカードを取得しない理由の3位は「個人情報の漏えいが心配だから」。実名を含む個人情報をサービスに提供することは、ユーザーに不安を感じさせサービス利用の障害になりうることがわかります。

しかし、インタビューで対象者の方からは、意外にも実名制に対して寛容なコメントが多くみられました。

これまで実名制による損害を被ったことがなく、逆に実名登録していることで便利になっている部分もあるといいます。

さらに、中国在住の他のインタビュー対象者からも「中国は人口の多い国。ここ数年は電子決済が普及し、高齢者も財布持たずに出かける時代になっている。実名制度は国民の経済活動と日常生活の安全を保障すると思う。プライバシーに対する心配は少しあるけれど多くの人に認められると思う。」「中国人はプライバシーをそれほど気にしてないと思う。結果的に実名制がもたらした利益は害より大きい。警察が犯罪者を捕まえやすくなるという点でも安全保障に貢献すると思う」という声が上がりました。

中国では個人情報の漏えいに対する不安は多少ありつつも、実名制がユーザー体験にポジティブに作用している点があることがわかりました。

前述の一網通辦でも、銀行口座やSNSが身分証を用いた実名認証がされているからこそ、政府のポータルを介してワンストップのサービス提供ができているといえます。

ユーザー体験と社会背景

ユーザー体験は法制度や文化などの社会背景に影響を受けます。同様のサービスに対しても、生まれ育った国・環境によってユーザーの感じ方は異なるのです。

中国では、サービスへの国家の介入度の高さ、身分証の義務化や実名制の導入を国家が強く推し進めてきた経緯などもあり、このように実名制にも寛容な態度を示していると考えられます。

まとめ

上海は、一網通辦による行政サービスのオンライン化やITプラットフォーマーとの戦略的提携によってデジタル化を推し進め、電子政府都市として高い評価を受けていることがわかりました。現在都市レベルで進められているデジタル化が、今後全国的にどのように展開していくかが注目です。

法制度において中国と日本では様々な相違があるものの、データの利活用が肝となる行政のDXにおいて中国の事例は参考になる点も多いのではないでしょうか。