AI・デジタル投資が急拡大するなか、BCGの調査『Where’s the Value in AI?』(2024年)では、74%もの企業が投資を価値創出にスケールできていないという実態が示されています。技術が足りないわけでも、人材が不足しているわけでもない——その根本には、「誰の何を解くのか」という問いそのものが設計されていない、という構造的な課題が存在します。
グッドパッチは2026年4月に「問いからはじめる 医療 × イノベーション×AI 新規事業の成功確度を高める実践プロセス」をテーマにウェビナーを開催しました。本レポートでは、製薬・医療業界の新規事業開発において、ニーズステートメントによる仮説設計から、生成AIを活用した間接リサーチという実践的なプロセスを中心に紹介します。
<登壇者>
北村 竜也 Goodpatch Anywhere PM/UXデザイナー
Goodpatch Anywhereに参画後、医療・金融等の領域を支援。2023年より神戸大学 大学院医学研究科にて脳神経・AIを研究。2026年5月より広島大学 学術・社会連携室オープンイノベーション本部 産学連携部 バイオデザイン部門 特任学術研究員に就任。
目次
製薬・医療業界の新規事業開発を阻む3つの要因
製薬・医療業界での新規事業開発には、他産業にはない構造的な障壁が存在します。
1. エビデンスファースト症候群
医療・製薬の世界では「確実に証明すること」が最大の価値とされており、RCT(ランダム化比較試験)データの重視や、論文での実証が組織文化として深く根付いています。この文化は本来の強みですが、新規事業の探索フェーズに必要な「仮説を立てて素早く試す」学習サイクルとは根本的に相性が悪く、探索の速度を構造的に低下させる要因になりうるという問題があります。
2. プロダクトアウト思考
製薬企業の主要顧客はこれまで長らく医師・医療従事者であり、患者さんや周辺ステークホルダーを直接観察する機会が構造的に乏しい状況があります。スタンフォードのバイオデザインでは「優れたイノベーションのDNAはよく定義されたニーズである」と定義されており、ニーズ起点が医療イノベーションの成功率を高める鍵とされています。しかしその「見えにくいニーズ」を組織として扱いにくいという構造的な問題があります。
3. コンプライアンス・ハードル
医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律や個人情報保護法の存在が、新規事業展開のブレーキになりやすい状況があります。規制によって、できないことにフォーカスしてしまう問題があります。
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課題の種が見つかる思考の形──ニーズステートメント
ニーズステートメントとは
ニーズステートメントとは、医療イノベーションの起点として体系化された、事業仮説をシンプルな3行で表現するフレームです。
1行目:ターゲット(誰のため?)— 具体的な患者像・医師・施設ホルダーなど
2行目:アウトカム(どんな価値を得るか?)— 患者・医師が享受する体験価値
3行目:ソリューションの方向性(どう解くか?)— 手法ではなく方向性

事業仮説を3行で表現する思考の型「ニーズステートメント」
フレームワークを活用し、事業仮説を言語化することで、「誰の何のための事業か」を明確にすることができます。その結果、チームや上司・パートナーと課題の共通認識が生まれ、成否を判断する評価基準を構築、そして仮説が外れた際に修正する「よりどころ」になるのです。
ニーズ設計でよくある失敗——悪いステートメントの3つの問題
ニーズステートメントは、使い方を間違うと「仮説なき事業開発」につながってしまいます。ここでは、悪いニーズステートメントの例を紹介します。
1行目:糖尿病患者さんにとって
2行目:服薬回数を増やすために
3行目:服薬管理アプリを提供する方法
この例には3つの問題があります。まず「糖尿病患者さん」というターゲットが広すぎて具体性がありません。次に「服薬回数を増やす」は患者さんが得る価値(アウトカム)ではなくアウトプットにすぎません。さらに「アプリ」というソリューションを最初から決めてしまっており、他の手段を探索できない状態になっています。
これを改善すると以下のようなニーズステートメントになります。
1行目:外来通院中の2型糖尿病患者さん(HbA1c 8.0以上・60代・独居)にとって
2行目:合併症リスクを低減し、生活の質を維持するために
3行目:日常生活の文脈で服薬行動を継続的に支援する方法
ターゲットが具体的な患者像として描かれ、アウトカムが「合併症リスク低減とQOL向上」という価値として定義されています。ソリューションは「方向性」にとどめることで、アイデア探索の幅が確保されています。もちろん作成して終わりではなく、2行目のアウトカムのレイヤーを上げ下げすることで、ニーズステートメントのバリエーションを増やすことができます。
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検証のための仮説を絞り込む──ゲートキーパーと6つの評価基準
作成した仮説を本格的に検証すべきかを判断するには、「ゲートキーパー」として最低条件を確認する必要があります。ターゲット・アウトカム・方向性の3点が具体的かつ実在するか確認する基準として、以下6つを例として挙げます。
- 特許性があるか既存特許との差別化──知的財産の可能性はあるか。
- 薬事承認の見込み──規制経路が存在し、承認取得の見通しが立つか。
- 保険償還の見込み──保険適用・収載の可能性があるか。また、自費で成立するか。
- ビジネスモデルが成立するか──持続可能な収益モデルが確立できるか。
- 技術的実現可能性──現在の技術水準で開発・実装できるか。
- 競合・代替案に対して優位性──既存の解決策として十分な優位性があるか。

出典:Yock, Zenios et al. (2015) Biodesign: The Process of Innovating Medical Technologies, Cambridge UP
仮説を立案するための間接リサーチ
現場に出られない制約をAIで乗り越える
製薬企業が患者さんへ直接接触することは厳格に管理されており、MRさんによる医師へのアクセスも限定されることが多い状況です。この制約に対する解決策として、患者統計・服薬アドヒアランス論文・診療ガイドラインといった情報をAIに読み込ませ、患者さんのペルソナに対して質問を投げかけるという方法があります。

登壇中に実施したハンズオン
セミナーでは、Claudeを使って「ペルソナに対する壁打ち」と「事前の失敗分析」の2つ実施・活用するハンズオンタイムを実施しました。操作の具体的な流れを知りたい方は、ぜひセミナー動画をご覧ください。
セミナー動画を視聴する
【まとめ】発見したニーズを患者体験へ変換
製薬企業のビジネスモデルは、「薬剤提供モデル」から「患者体験モデル」へシフトすると考えられており、発見したニーズを体験に変換していくことの重要性が増していきます。
本記事で紹介したように、フレームワークを活用して事業仮説を言語化・選別すること、そしてAIを活用した間接的なインタビュー調査を行うことで、医療業界における新規事業開発を阻む3つの課題の解決に近づくことができます。
制約をできないことと捉えるのではなく、デザインする対象と捉え、正しい問いを立てること。その姿勢こそが、これからの新規事業開発において重要な要素となるでしょう。
