この記事はGoodpatch Advent Calendar 2025 の24日目の記事です。
こんにちは!UIデザイナーのsugasoです。今年もたくさんのアプリやサービスに触れました。昨年は2024年のベストアプリを紹介しましたが、今年も引き続き、2025年に触れたプロダクトの中から、「こんなかっこいいプロダクトを作りたい」と、心から嫉妬した “イカしたアプリ”を厳選してご紹介します。
アプリやUIのインプットが少し苦手な方にも、これからUIデザインの引き出しを増やしていきたい方にも、そして何より「良いUIに悔しくなりたい」デザイナーの方に向けた、ささやかなクリスマスプレゼントです。ぜひ、コーヒー片手にお楽しみください!
目次
1. MD Vinyl

一つ目のアプリは、まるでレコードに針を落としたかのような感覚で音楽を楽しめる音楽プレイヤーアプリ「MD Vinyl」です。最初に触れた瞬間、これはただの「音楽プレイヤー」ではなく、鑑賞体験そのものをデザインしたアプリだと感じました。
コントロールを手放すことで生まれる、音楽への没入体験

私事ですが、今年からレコードを集め始めました。そのきっかけのひとつが、このMD Vinylの体験です。再生画面に表示されるのは、ただ静かに回るレコードと、空間に広がる音楽だけ。余計な情報を一切排したその画面に触れた瞬間、僕はこのアプリのファンになりました。
特に印象的だったのが、シークバー(再生時間を示すUI)や歌詞表示が存在しないことです。MD Vinylで音楽を聴くようになってから、今日の鑑賞体験は、あまりにも音楽を「コントロール」できすぎているのかもしれないと感じるようになりました。私たちはいつでも再生時間を確認し、好きな箇所にジャンプし、歌詞を追いながら聴く。それは確かに便利で、音楽を自由にコントロールできることが当たり前になりました。
しかしMD Vinylでは、そのコントロールが手放されます。針を動かせば曲中を移動することはできますが、正確な位置は分からない。もちろん歌詞も表示されない。それでもいい。むしろ、それがいいのです。音楽は管理するものではなく、身を委ねて浴びるものなのだと、このアプリは思い出させてくれます。
機能を足すことで得られる「操作性」ではなく、機能を削ることで立ち上がる「情緒」を大事にする。MD Vinylは、そのバランス感覚が非常に優れたプロダクトだと感じました。個人的にグッときたポイントとして、再生時にサーフェスノイズ(針を落とす音)がきちんと鳴る点も挙げたいです。単なる演出ではなく、「いま、音楽が始まる」という身体的な合図として機能している。この細部へのこだわりこそが、MD Vinylの体験を決定づけているように思います。
また、スライド操作で次の曲へ移る際のインタラクションも秀逸です。レコードがゆっくりとジャケットの中へ戻り、そのままフェードアウトしていく。この一連の動きが、単なる「曲送り」を実際のレコード選びに近い、身体的な動作を盛り込んでいることが分かります。再生画面ひとつを取っても、MD Vinylには多くの魅力がていねいに詰め込まれていることが伝わってきます。

キュー(次に再生される曲一覧)の設計も絶品です。一般的な音楽アプリでは、アルバムジャケットと曲名を整然と並べたリストが採用されることが多いですが、MD Vinylでは、あえて不均等なレイアウトが選ばれています。
この不揃いさによって、レコード棚に並んだレコードを一枚ずつ手に取り、ディグっていく感覚に近い体験が生まれているように感じました。情報を効率よく一覧するためではなく、探す行為そのものを楽しませる設計になっている点が印象的です。
カード同士をわずかに重ねてレイヤー感を出したり、極めて薄い色味のディバイダーを用いたりと、細部にも強い意図が感じられます。どれもアルバムジャケットという強いビジュアルを主役に据えたまま、情報の存在感だけをていねいに抑える工夫であり、UIとして非常に参考になる整理の仕方です。
「探す」と「所有する」をUIで描き分けるアルバム体験

MD Vinylの体験の中で、再生画面に次いで美しいと感じたのが、このアルバム一覧です。スマートフォンで眺めると、上から棚を見下ろしながらレコードを物色するような体験に近く、自然と「探す」姿勢に導かれます。さらに、端末を動かすとジャイロ効果によって盤面がのぞく演出も加わり、単なるアナログ体験の再現にとどまらず、デジタルならではの操作体験へと昇華されていることが分かります。

先述したキューではランダム性のあるレイアウトが採用されている一方で、アルバム一覧ではマージンを狭く取った、非常に整ったレイアウトが選ばれている。この対比は体験の意味付けを明確に分けるための意図的な設計だと感じました。
キューに表示されるのはレコメンド再生による音楽であり、未知との出会いや発掘のワクワク感を強める場。一方、自分のアルバム一覧は、所有するコレクションとして整然と並べられ、眺めること自体に価値がある。同じ音楽であっても、向き合い方が異なることをUIで表現しているように思えます。
このようにMD Vinylは、レコード鑑賞が本来持っているミニマムで没入感のある体験と、音楽を探し、選び、集めていく奥行きのある体験。その2つを、一貫した思想のもとでインターフェースに落とし込んでいます。ただ現実のレコード鑑賞を再現するのではなく、デジタルとして最適な別解を提示する。かつ音楽をサプリメントのように消費するのではなく、一曲一曲を味わい、自分の内側に積み重ねていく体験設計。その姿勢は、あらゆるアプリにとって一つのお手本になるはずです。
年末年始、今年聴いてきた音楽を振り返る時間として、MD Vinylをインストールしてみてはイカがでしょうか。
2. Lume

2つ目は、天気アプリの「Lume」です。天気を知るという極めて普遍的な体験に対して、Lumeは情報の見せ方そのものを問い直す、非常にグラフィカルでユニークなアプローチを取っています。
天気を「数値」ではなく「変化」として捉える

Lume最大の特徴は、気温・湿度・紫外線といった要素を「現在の数値」だけではなく、一日の中でどう変化していくかという視点で捉えさせてくれる点にあります。日の出から日の入りまでの時間軸に沿って、環境がどのように移ろうのかを、グラフによって直感的に理解することができます。
個人的に最も大胆だと感じたのは、グラフと文字情報を大胆に重ねるレイアウトです。
UI設計では可読性を担保するため、情報同士はなるべく重ねず、整理して配置するのがセオリーです。しかしLumeでは、そのセオリーを踏み越えています。変化量を示すグラフを鮮やかな色彩で描き、背景として扱うことで、文字情報と競合させるどころか、むしろ画面全体を一つのビジュアルとして成立させているように感じました。
さらに、単調な白背景に逃げるのではなく、どのグラフとも調和する背景色を選び抜いている点からも、制作者の高いグラフィック感覚がうかがえます。情報を「読むUI」だけでなく、「眺めるUI」としても成立させていることが、このアプリの大きな魅力のひとつです。
正確さだけでなく、天気との向き合い方をデザインする

こうした情報同士を重ねるレイアウトによって、Lumeは一画面あたりの情報量を増やしながらも、破綻のない構成を実現しています。実際にiOS標準の天気アプリと見比べてみると、扱っている情報の種類や時間軸は近いにもかかわらず、何を主役として見せるか、どこに視線を導くかという設計思想の違いがはっきりと浮かび上がります。
もうひとつ興味深いのは、天気の「世界観」の作り方です。iOSの天気アプリが背景によって天候や時間帯を感覚的に伝えるのに対し、Lumeはあくまでグラフの推移を中心に天気を表現しています。天気らしさを担っているのは、グラフの色彩と最小限のアイコンのみ。他の天気アプリと比較しても異質なアプローチです。
それでも、なぜか何度も開きたくなる。それはLumeが、単に「正確な情報を届ける」ことだけを目的としていないからだと思います。今日の天気をどう受け取り、どう向き合うのか。その態度そのものを、少し前向きに、少し楽しくしてくれるような余白と遊び心が、このアプリにはあります。

例えば、一番左の画面に遷移すると、一週間のサマリーを見ることができます。よく観察すると、上部タイムラインのアイコンが天気マークから「目」のアイコンへと切り替わっています。これは「天気を見る」という行為を、さりげなくメタ視点で捉え直す、小さな仕掛けのようにも感じられます。

各種設定まわりのインタラクションも印象的です。
温度表示の切り替えにはトグルスイッチが使われており、ON/OFFのように二択で完結する操作に対して、セレクトメニューを使わない判断は非常に理にかなっています。UIコンポーネントの選択一つひとつが、操作の意味ときちんと結びついていることが伝わってきます。
また、画面上部のAIによる解説文をタップすると言語切り替えが現れ、位置情報をタップすると地点変更ができるなど、Lumeには説明しすぎない黙示的なフィードバックが随所に組み込まれています。ボタンらしいボタンを極力使わず、線や面を増やさない。その結果、文字情報が多い画面であっても、視覚的なノイズを感じさせない設計が成立しています。
このアプリに触れた瞬間、「天気アプリを作ろう」と考えても、これはなかなか思いつかないな、と悔しさを覚えました。瞬時に情報を伝えるための手段は、必ずしも数字や文字である必要はない。Lumeはそのことを、UIとして、体験として、強く教えてくれるアプリです。
3. Capwords

最後に紹介するのは、Apple Design Awards(2025年)を受賞した、唯一無二の英単語アプリ「Capwords」です。英単語学習という、これまでに無数の正解が提示されてきた領域に対して、Capwordsはまったく異なる角度からアプローチしています。
世界を撮って、言葉を貼る。学習体験の再定義

このアプリのコンセプトは、「現実世界を撮影し、それをシールにして覚える」というもの。身の回りのものをカメラで撮影し、切り抜かれた対象をステッカーのように画面に貼っていく。その行為自体が、子どものころに自由帳へシールを貼っていた感覚を思い出させます。調べてみると、この発想は開発者の娘さんのアイデアから生まれたそうで、その背景を知ると、このアプリのやさしい世界観にも納得がいきます。
個人的にまず心を掴まれたのが、シール状のビジュアルと見事に調和する、自由帳を彷彿とさせる背景の存在です。背景の色や質感は、ユーザーが強く意識することはありませんが、無意識のうちに「らしさ」や世界観を形づくる重要な要素です。Capwordsはその役割を非常にていねいに扱っているように感じました。
モードを感じさせない設計と、自己肯定感を作る体験づくり

キャプチャ画面で対象物を撮影すると、自動で背景が削除され、ユーザーが「これを英単語として覚えたい」と感じたものがシールとして記録されます。背景が切り抜かれるアニメーションは爽快で、子どもはもちろん、大人でも思わず身の回りのものを次々と撮影したくなります。
ここで特に秀逸だと感じたのが、撮影画面からスキャン結果の画面へ、いきなり遷移しない点です。
撮影後、すぐに翻訳結果が表示されるのではなく、「切り抜かれた対象だけが表示される中間状態」が一度挟まります。これは一見地味ですが、非常に重要な設計です。切り抜き精度が意図とズレていた場合、即座に翻訳結果が出てしまうと、再撮影の心理的・操作的コストは一気に高まります。
この中間状態は、いわば「この切り抜きで問題ない?」という確認ダイアログの役割を果たしています。しかし、明確なダイアログやモード遷移を発生させるのではなく、切り抜いた対象をOverlayのように扱うことで、モードレスに近い体験として成立させている。この設計によって、ユーザーは流れを止められることなく、かつやり直しもしやすい撮影体験を得られます。

記録した単語は、カテゴリや日付ごとに整理され、例文とともに振り返ることができます。例文では単語の使われ方が直感的に分かり、訳語も常にセットで表示されるため、学習への心理的ハードルはかなり低く抑えられています。

さらにCapwordsは、「記録して終わり」にしません。スワイプUIと音声機能を組み合わせることで、英単語帳のように反復して学べる設計になっており、日常英語としての定着を自然に促します。
個人的に特に良いと感じたのは、「間違えた」という体験を極力ネガティブに扱わない点です。発音がうまくいかなかったとき、カードが軽く揺れ、「素晴らしい努力!」という言葉とともにアドバイスが表示されます。ユーザーに失敗を突きつけるのではなく、まず取り組んでいること自体を肯定する。この姿勢は、学習の継続性を考える上で非常に重要な示唆を与えてくれます。
Capwordsは、学習アプリとしてのハードルを驚くほど自然に下げながら、これまでになかった体験を提供しています。個人的に最も「嫉妬した」ポイントは、このアプリを通して世界の見え方が変わることです。「これって英語でなんて言うんだろう?」という小さな好奇心が、カメラを通して次々と生まれていく。その積み重ねが、単語を覚える以上に、「世界を観察する力」を育てているように感じました。Capwordsは、英単語を学ぶアプリであると同時に、世界との新しい向き合い方を教えてくれるアプリなのかもしれません。
世の中のデザインに嫉妬するということ
去年のベストアプリ、そして今年紹介したアプリを通して改めて感じたのは、個人的に強く心を掴まれるのはやはり「当たり前を疑えているアプリ」だということです。
どのプロダクトも、ユーザーが本当に求めている体験は何なのかを徹底的に考え抜き、既存の正解に寄りかかることなく、独自のアプローチでその答えを形にしていました。
音楽アプリだからシークバーがある。
天気アプリだから空模様で表現する。
英語学習アプリだから単語帳が並ぶ。
それらは決して間違いではありません。ただ、本当に心に残るアプリは、その一歩先にある感動や、気持ちのいい裏切りを内包しているように思います。当たり前をそのままなぞるのではなく、当たり前を疑い、少しだけ裏切ってくれる。だからこそ、新しい価値が生まれ、人は「これは使い続けたい」と感じるのだと思います。
僕自身、そうした“良い裏切り”に出会うたび、いつも悔しさを覚えます。そして気付いたのは、アプリを観察する時間で本当に大切なのは、「どれだけ悔しがれるデザインに出会えるか」なのかもしれない、ということです。
ユーザーとして「使っていて気持ちいい」と感じる視点と、作り手として「この発想は負けた」と感じる視点。両者を行き来しながらUIを見ることで、表面的な使いやすさを超えた設計思想や意図が、少しずつ立ち上がってきます。
皆さんが日々何気なく触れているアプリの中にも、きっと思わず嫉妬してしまうようなUIが隠れているはずです。ぜひ、「これはなぜ気持ちいいのか」「どこで当たり前を裏切っているのか」を意識しながら、そんなイカしたUIを探してみてください。それでは、また次回!
