私たちデザイナーは、ユーザーリサーチをしているとき、「分かっていたつもり」の認識が崩れる瞬間にたびたび出会います。

あるサービスの改善プロジェクトでの話です。チームメンバーの間では「この機能はユーザーにとって非常に重要で、誰もが日常的に使っているはずだ」という共通認識を持っていました。だからこそ、その機能の使い勝手を良くすれば、サービスに対するユーザーの満足度は上がるだろう、と信じて疑いませんでした。

しかし、実際にインタビューを始めてみると、多くのユーザーはその機能を「存在は知っているが、ほとんど使っていない」と語り、むしろ別の課題に時間を取られていることが分かりました。

その報告を受けたとき、「えっ?」という空気が会議室に流れました。あれほど当然だと考えていたユーザー像が、現実には自分たちの中にしか存在していなかった……その気付きは確かな衝撃だったのです。

問い直してみると、いつの間にか私たちは「当たり前」という言葉で、自分たちの固定観念を正当化していました。「ユーザーにとって当たり前の行動」「当たり前の使い方」「当たり前のニーズ」──そう呼んできたものは、本当は私たちの頭の中だけにあった仮説でしかなかったのです。

デザインの仕事は、この「当たり前」に立ち止まり、問いを差し込むことから始まります。それは簡単な作業ではありません。今回の記事では当たり前、と考えてしまう固定観念について掘り下げつつ、解き放つ方法について考えてみたいと思います。

なぜ、私たちは「固定観念」にとらわれてしまうのか?

私たちが世界を認識するとき、感覚から得られる生の情報はごく一部に過ぎないものです。その多くは、過去に学んだ概念や先入観に基づいて脳が補完しています。

学校で「間違えること」をどう捉えるか、という話で考えてみましょう。日本では「正しく答えること」が大切だと考えられ、間違えると「恥ずかしい」「迷惑をかける」と感じやすい文化があります。一方、北欧の一部の学校では「間違えることは学びの一部」とされ、試行錯誤を共有することが奨励されています。同じ問いでも、文化によって「間違い」の意味がまったく異なるのです。

同じことが、仕事でも起きています。「こういう人がターゲットだ」「この課題はこう解決するのが正しい」──そういった認識は、実体験から生まれたものではなく、誰かの言葉や資料を通じて無意識にインストールされた考え方、概念かもしれません。

こうした、ある種「トップダウン」とも言える認知のやり方は、効率的ではあります。けれど、その便利さの裏で、私たちはいつの間にか「目の前の現実を、ありのままに見ること」をやめてしまう。知覚を支配する固定観念の存在に気付かないまま、議論を進めてしまうのです。

固定観念から解放される第一歩は、頭の中にある「当たり前」を視覚化することから

固定観念によって認知が歪み、間違った思い込みや判断をしてしまう。これを避けるためには、まずは固定観念を「あぶり出す」ことが有効です。私はまた異なるプロジェクトでワークショップを行い、こんな問いを立てました。

「この製品について、私たちは何を当たり前(=固定観念)だと思っているだろう?」

プロジェクトメンバーそれぞれが思いつく限りの「当たり前」を付箋に書き出し、壁に貼っていきます。

「すべてのユーザーは説明書を読む」
「この機能は必要とされている」
「この製品は、価格を最優先に選ばれている」

並んだ付せんを見て、全員がしばらく黙り込みました。同じプロジェクトを進めてきたはずなのに、当たり前の定義はまったくそろっていなかったのです。暗黙知として頭の中に漂っていた固定観念を、紙に書き出し、目に見える形にする。このワークでは、「言葉にする」ことで初めて気付けることがたくさんありました。

こうやって暗黙知を共有するプロセスは、野中郁次郎氏が提唱した「SECIモデル」にも通じています。SECIモデルでは、知識が組織の中で共有・変化していく4つのプロセスが示されています。

1. 共同化(Socialization)

経験や感覚といった暗黙知を、対話や共同行動を通じて他者と共有する段階。例えば、一緒にユーザー観察をしたり、モヤモヤをそのまま話すような行為が該当します。

2. 表出化(Externalization)

感覚的だった気づきを、言葉や図に変換し、共有可能な知にする段階。曖昧な直感を付箋やスケッチ、フレーズとして可視化することで、他者との接続点が生まれます。

3. 結合化(Combination)

表出化された知識同士を組み合わせ、構造化・整理していく段階。複数のチームから得られた知見をパターン化したり、施策にまとめるようなプロセスです。

4. 内面化(Internalization)

形式知としてまとめられたものを実践に生かし、自らの暗黙知へと変換する段階。実行しながら学びを蓄積し、次の行動に生かしていく「経験知の再獲得」とも言えます。

特に「共同化」から「表出化」への移行は、個人の中にある気付きが組織の知へと変わる最初のステップです。付せんに書き出すことで、自分では当たり前だと思っていたものが、他の人にはそうでないと気付ける。そのとき、認識の多様性がようやく浮かび上がってきます。

SCSIモデル

当たり前が固定化しないように──問いを立て、育てる文化を育む「組織デザイン」

こうした場を支えるのが「ファシリテーター」の役割です。チームで当たり前を疑うのは、一人で行うよりずっと難しいもの。何が正解か分からない中で、問いを立て、言葉にする行為には不安が伴います。だからこそ、心理的安全性を守りながら、視点を多様化させる進行が必要です。

ファシリテーターは、場の「空気」を読み取り、ときに揺さぶり、ときに寄り添いながら、問いの深度を支えます。問いが浅いままだと、見えない固定観念に再び閉じ込められてしまうからです。問いは、正解を探すためではなく、「認知の枠」を広げるための道具です。それを一緒に使いこなしていく存在として、ファシリテーターがいるのだと思います。

会社をはじめとして、組織には当たり前を固定する仕組みがあります。ルールやナレッジの共有、評価制度、プロセスの標準化。それらは、組織が拡大する中で効率や一貫性を守るために必要なものです。でも同時に、問いを立てにくくする空気を生むこともあります。

だからこそ、問いを持ち寄る場を意識的に作ることが重要です。定期的に「これって本当に必要?」と確認する対話。ルールやプロセスを見直す機会。共通認識を、あえて言葉にする習慣。人事やマネージャーもまた、問いを支える存在です。「面倒だからやめよう」と流すのではなく、「それ、気になるね」と一度立ち止まること。そうした応答の積み重ねが、問いを歓迎する文化を作るのです。

「当たり前」を見つめ直す、問いのワークショップ

例えば、ワークショップデザイナーとして私たちが実施している「当たり前リフレーミングワーク」は、そうした場づくりの一つです。このワークでは、プロジェクトや組織に関して自分たちが「当然だと思っていること=固定観念」を可視化し、それを起点に問いを育てていきます。

進め方はシンプル。以下の4つのステップで進めます。

  • テーマに対して「○○が当たり前」「△△は仕方ない」など、自分の中にある“当たり前”を付せんに書き出す
  • 書き出した付せんを持ち寄って、チームで読み上げ、構造化していく
  • 「これは誰が決めた?」「本当にそうだろうか?」という問いを投げ合いながら、見えない認知の枠を探っていく
  • 最後に「今、このプロジェクトに対して持ち帰りたい問い」を各自が持ち帰る

このような場があるだけで、チームの思考は柔らかくなり、探究の余白が生まれます。当たり前を問い直すことは、組織の学びを深める一歩なのです。

ビジネスの現場では締め切りや要件に追われる中で、頭の中にある「当たり前」に頼りがちです。でも、私たちデザイナーは、ユーザーのために問い続ける役割を引き受けています。

「本当にこのやり方でいいのか?」「私たちが信じているこの前提は、誰のものなのか?」

当たり前を疑うことは、特別なスキルではありません。誰もが持っている固定観念をそっと手にとって確かめる。仲間と共有して見直す。ただ、それだけです。

それでも、その「だけのこと」が難しいときがあります。だからこそ、問いを立てる勇気が必要なのです。問い直すことを恐れず、見る力を更新し続ける。私たちがデザインに向き合う理由は、その先にまだ見ぬ解釈や可能性があると信じているからではないでしょうか。

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