UXデザイナーにとって自分のスキルを客観的に示す手段が少ないことは悩みの種です。「資格を取る」というのは1つの手段ですが、UXデザイナーにまつわる資格は世の中にそう多くはありません。

近年は「UX検定」や「Google UX Design Certificate」など、UXデザインに関わる資格や認定制度が増えてきています。その中でも国内で有名なのが、NPOの人間中心設計推進機構が実施する「人間中心設計専門家(HCD専門家)」および「人間中心設計スペシャリスト(HCDスペシャリスト)」の認定制度です。

グッドパッチには人間中心設計専門家/スペシャリストが6名在籍しています(2023年6月現在)。そして、昨年度に自分もHCDスペシャリストの資格を取得することができました。

取得はできたものの、認定資格を取得する過程では困ったことも多かったため、人間中心設計専門家/スペシャリストを目指す方向けに資格の概要や取得のきっかけ、実際に取得してどうだったのか?などをお伝えしようと思います!

HCD-net認定「人間中心設計専門家/スペシャリスト」とは?

まずそもそもHCDとは「Human Centered Design(人間中心設計)」の頭文字をとったものであり、国際標準規格であるISO 9241-210「インタラクティブシステムのための人間中心設計」で定義された言葉です。

定義によると、人間中心設計とは「システムの使い方に焦点を当て、人間工学やユーザビリティの知識と技術を適用することにより、インタラクティブシステムをより使いやすくすることを目的としたシステムの設計と開発へのアプローチ」とあります。

日本でも「人間工学-人とシステムとのインタラクション-インタラクティブシステムの人間中心設計(JIS Z 8530:2021)」としてJIS規格化されています。

人間中心設計専門家/スペシャリストとは、この領域で高い専門性を持ち、複数プロジェクトでの実務経験を持つ人材を認定する「人間中心設計推進機構(HCD-net)」の認定資格です。

「専門家」と「スペシャリスト」の違いは、経験とマネジメントスキル

この資格には専門家とスペシャリストの2種類がありますが、専門家の方が取得が難しいです。スペシャリストと比べて、専門家の方が経験年数やマネジメントスキル、組織導入経験といった要件が加わるため、より高い専門性が求められると言えるでしょう。

要件の詳細は、情報の引用元である応募要領をご覧ください

私は両者の違いをまだ強く感じられてはいないですが、専門家を取得した社内の先輩方の話を聞く限りでは、以下の2点が専門家の取得に必要ではないかと考えています。

  • 自身の強みを確立し、多様な経験を通じた上で不確実性の高いプロジェクトを成功に導くプロジェクトマネジメント能力
  • 社内外のチームメンバーにデザインプロセスを広く啓蒙し、インストールできる能力

資格取得までの流れと合格率

HCD-Netの認定制度には、面接や筆記、実技試験のようなものはなく、自身がHCDプロセスに則ってパフォーマンスを発揮した経験をひたすら審査書類に記載するだけ。主な流れは申し込んで入金し、審査書類を記入して提出するだけと至ってシンプルです。

受験した方は口をそろえて言うのですが、この審査書類の記入がなかなかの「曲者」です。詳しくは後ほど記載します。

公開されている合格率を見ると、専門家が3割ほど、スペシャリストが4割ほどで推移しています。応募者数は年々増えており、資格保有者の人数も累計で約2,000人と増えてきました。最近はプロジェクトでご一緒するクライアントの方々がHCD専門家/スペシャリストの資格のことを知っているケースも増えたように感じます。

資格取得で苦労するポイントは大きく2つ、「文章量」と「孤独」

資格保有者も増え、メジャーになりつつある人間中心設計専門家/スペシャリストですが、受験者が口をそろえて「苦労した」と言うポイントがあります。自身が資格取得に至るまでに難関だと感じたポイントを2点お伝えしつつ、その際に自分が行った解決策も合わせてご紹介します。

1. 最低でも3万字、最高で15万字の可能性も!? 審査書類のボリュームがとにかく多い

先ほど「審査書類の記入が曲者」と述べましたが、とにかく膨大な量の文章を書くことになります。

提出する審査書類は、HCDプロセスに則ってパフォーマンスを発揮した経験を記すということで、要するに「自分が参加したプロジェクトにおいて、HCDプロセスを分解した13項目のコンピタンスを満たした実績をアピールする」ことになります。

コンピタンス1つにつき、「目的と対象」「概要と体制」「成果と工夫」という3つの観点でそれぞれ約500字、合計1,500字ほどの記入が求められます。

1つのプロジェクトにつき13×3=39個の記入欄、しかも複数のプロジェクトについて書かないといけません。大変そうな印象が伝わりますか……?まとめると以下の図のようなイメージになります。

HCDスペシャリストでは、1つのプロジェクトで13項目のコンピタンスのうち最低6項目、それを3プロジェクト以上を書く必要があります。計算すると500字×3×6×3=27,000字。多くの場合は最低でも3万字ほどは文字を書くことになります。

専門家の受験では最大15万字と、2冊か3冊くらい本が作れそうな量の文章を書くことになります。そのため、申込から提出までの約3カ月間はとても忙しくなるでしょう。

私は書類記入時点で3年半ほどのUXデザイナー経験の中で、自分が主体的に活動したプロジェクトや、クライアント組織やユーザーへのインパクトが特に大きかったものを4件取り上げて記載しました。

記入を始めて間もないころは毎回問われる目的や工夫に対してどのように向き合えば良いか分からず苦戦していました。しかし最終的には、コンピタンスごとに書きたい項目を可視化し、全体ボリュームと見出しを書き、Notionで進捗管理をしつつ、文章を記入していくことにしました。審査書類の1つのセルと向き合っていると終わりが見えず、気が遠くなってしまう自分には、このやり方が合っていたように感じています。

上記のようにプロジェクトごとにやったことや成果を棚卸しをしつつ整理を行い、文章を書くことを繰り返した結果、自分は70〜80時間くらいでなんとか書き上げた記憶があります。(正直、提出直前の記憶は曖昧です……)

2. 記載内容について、基本的には誰にも確認/相談できない

HCDの応募要項には「審査書類の記載について、ご自身が記載した審査書類に対するアドバイスを他者から受けることは控えてください」という記載があります。

そのため「このコンピタンスってどういう意味なの?」「工夫点の書き方ってこれでいいの?」といった些細な疑問や悩みについて、具体的な文章を見せる形で他人に相談できず、もどかしさを感じることが多々ありました。

多くの受験者が抱くようなポピュラーな疑問については、説明会やサイトにあるFAQに掲載されているのですが、細かい書き方の様式など、審査書類を作る中で受験者が確信を持てずに悩むであろうポイントは随所に存在します。

例えば、私は審査書類に記載する際、プロジェクト内で「検証」と表現していた部分を、HCDプロセスに則って「評価」という言葉で表現すべきか?で悩みました。点の話ではあるのですが、言葉に含まれるニュアンスの違いや文脈で意図した伝わり方をしないのではないか、と悩みました。

最終的には、審査していただく方に伝わりやすい表現が良いと考え、HCDプロセスの言葉にそろえて記載しましたが、上記のような細かな疑問を解消できなくても進められる力、ある種の「割り切り」が求められるのは間違いないでしょう。

一方、模範解答がない中で徹底的に自分に向き合い、過去の自分の行動や思考を内省できる点は他にない機会だとも言えます。実際、私も審査書類を記入したことで、自分がきちんとプロジェクトをこなす中でユーザーに向き合い、組織にUXデザインをインストールしつつプロジェクトを推進できていたことを振り返る非常に良い機会となりました。

「人間中心設計専門家/スペシャリスト」を取ると、どんなメリットがある?

HCDスペシャリストを取るにあたって、周りの方から「どんなメリットがあるのか」と聞かれる機会が多かったです。自分も疑問に思っていましたが、膨大な準備に対してどれだけの見返りがあるのか、気になる部分ですよね。

私自身の話になりますが、HCDスペシャリストの資格取得を目指したのには2つの理由があります。

一番は「自分の経験に自信を持ちたかったから」です。新卒でグッドパッチに入社してからいくつものプロジェクトを経験してきたものの、「果たして自分はUXデザイナーとして一人前になれたのか?」と時々振り返っては、不安になっていました。そんなふと感じる不安を払拭し、自信をつけるために力試しをしたいと思ったのが受験のきっかけです。

もう一つは、認定資格という形で第三者機関から認められることで、「社内外問わず、一緒にプロジェクトを行う方々からの信頼を得やすくなる」と考えたためです。実力が分からない人と一緒に仕事をするのは、不安に感じられる方も多くいると思います。単なる肩書きではあるものの、少しでも信頼していただくきっかけになればと思い、取得を決意しました。

この2点は、自分と同様に新卒入社でUXやUIデザインに関わっている方や、事業会社で少人数でデザインに関わる業務をされている方にも共感していただけるかもしれません。HCDの資格は改めて「自分の過去の経験やスキルを棚卸して、客観的に評価してもらいたい」と感じている方に適したものだと思っています。

ちなみに資格を取得すると、HCD-Netの認定者のサイトに名前が載ったり、認定証がもらえます。これは純粋に嬉しいことでしたし、取得前に想像していたよりも自分の過去の経験が認められた実感が得られて、自信に繋がったのは驚きでした。

資格取得のメリットについては、取得して間もない自分ではまだ実感できていない部分も多く、社内の先輩にも話を聞いてみました。

他者から信頼してもらえる

資格のメリットとして最も多く上がったのが、第三者機関から認められているために、クライアントや他のメンバーからの信頼を得やすいという話でした。

自分はIT業界に身を置いていることもあり、資格所有者にはIT業界の方が多いと思っていましたが、HCDプロセスの源流に近く、工業デザイン領域とも親和性が高いことを教えてもらいました。そのため、工業デザイン系の方と話す際にはHCDの話が伝わりやすく、信頼獲得につながりやすいそうです。

余談ですが、個人的に気になっていた「HCD認定者にメーカー出身の方が多い理由」の一端をこの話を聞いて理解できた気がします。デジタル/フィジカル問わずユーザーと向き合い、価値を適切な形で届けていく業界において、HCDプロセスは根底の思想であることを強く感じた瞬間でもありました。

自身の実績を内省し、成長を理解する機会になる

資格そのもののメリットではありませんが、皆さんが口をそろえて言っていたのは、審査書類を書くために経験を棚卸しすることで、内省のきっかけになるということです。

元来、UXデザインのプロセスは泥臭いもので、あまり日の目を見ることがないものですし、成功も失敗もひっくるめてやってきたことを客観的に評価してもらえる場はなかなかありません。

審査書類を書くために振り返っていると「今の自分ならこうするな」とか「もっとよくできたな」など、過去の自分との差を理解することで、自身の成長を実感できたことは取得に向けた活動のメリットと言えるでしょう。

他社から転職してきた方に話を聞いたところ、「事業会社の1人目デザイナーだったので、これまでやってきたデザインプロセスを体系立てて学び直す」という目標を持って資格を取得したと話す方もいました。HCDの資格取得を、体系化されたプロセスになぞらえて、実績を整理する機会として捉える視点は自分にはなかったのでとても学びになりました。

人脈が増える

少し意外だったのが「人脈が増える」という視点でした。

HCD-Netの会員になることで、他の会員の方と接する機会が増えるという話や、HCDの資格取得者の方とお会いしたときに「あの書類、書くの大変ですよね」などの話がアイスブレイクになり、距離が縮まったという経験談を聞きました。

増えた人脈をどう活用するかは人それぞれですが、視野が広がるきっかけと捉えれば、十分、資格取得のメリットになり得る要素でしょう。

HCDやUXデザインに関わる人がもっと増えてほしい

先輩方に伺ったメリットを整理すると、自分が資格を取る前に考えていた目的は達成されそうです。今後、HCDやUXデザインに関わる方がだんだんと増えていくと、ユーザーに寄り添ったサービスやプロダクトが増え、年齢、性別、国籍などを問わず、皆が価値を享受できるプロダクトが増えていくことが期待できます。

「誰のためのサービスなのか」を突き詰め、常にアップデートされる顧客への理解度を上げるためのデザインプロセスは、サービスに関わる方々の共通言語になってほしいと考えています。そのためにも、自分はHCDスペシャリストとして、UXデザインの教育や啓蒙に勤しんでいきたいです!

今後、HCDの資格取得を考えている方や、資格取得にあたりキャリアに悩んでいる方などがいらっしゃれば、自分はもちろんのこと弊社内のHCD認定資格保有者の方々とカジュアルに話す機会を提供できればと考えていますので、お問い合わせいただけると幸いです。気軽にお声掛けください!