アクセシビリティに取り組まないと、企業はどれくらい「損」をする? 試算する方法をご紹介
2024年4月に施行された法改正により、障害を持つ方への「合理的配慮」の提供が、民間企業においても法的義務となりました。これによりウェブデザイン分野では、アクセシビリティ対応の機運がますます高まっています。
この手の話になると、「アクセシビリティに取り組むには、どれくらいのコストがかかるんでしょう?」という質問をよくいただきます。実際に挙げてみると、以下のようなところでしょうか。
- アクセシビリティの知識習得に費やす時間
- 専門家にアクセシビリティ診断を依頼する費用
- アクセシビリティに対応するため、Webサイトやプロダクトを改修する費用
こうやって具体的な項目を見ると、アクセシビリティ対策に取り組むことを躊躇する方もいるかもしれませんが、逆に「アクセシビリティに取り組まないコスト」を考えたことはありますか?
アクセシビリティに取り組まないことで、潜在的な市場機会を逃し、顧客満足度を低下させるリスクがあるほか、法的リスクやブランドイメージの低下など、さまざまなコストを生む可能性があるのです。
今回の記事では、それらのコストについて具体的に考察し、どのような影響があるのか、合わせて対応策もご紹介していきます。もちろん、実際のコストはさまざまな要因によって変わり、正確な算出は難しいものですが、参考にしていただければ幸いです。
目次
1.市場機会を逃すコスト
アクセシビリティに取り組まないコスト、まずはいわゆる「機会損失」からです。「市場機会を逃す」とは、市場において自社の強みを生かせる状況にもかかわらず、アクセシビリティが原因でそのチャンスを逃してしまったことを指します。
厚生労働省の2021年の報告によると、日本では人口の約7.6%(約964.7万人)が、身体障害、知的障害、精神障害などの障害を持っています。企業にとって無視できないボリュームの顧客層と言えるでしょう。
世界中に目を向ければ、障害者とその友人や家族を合わせた購買力は約13兆ドルと言われています。これは日本の年間GDPの約3倍です。大きな市場と言えますが、障害者に配慮した、障害インクルーシブな製品などを提供している企業の割合は、まだ約5%にすぎません。
企業がこの市場を無視することは、大きな機会を失う可能性がある一方、早期に参入することで市場をリードする良いチャンスとなるでしょう。アクセンチュアの調査によると、アクセシビリティの取り組みを優先する企業は、4年間で平均28%の売上増加を達成したことが分かりました。
引用: 厚生労働省障害福祉課「障害福祉分野の最近の動向」(2022)、Valuable 500「The Valuable 500 releases new data on Global Accessibility Awareness Day.」(20220519)、Return on Disability「2020 Annual Report: The Global Economics of Disability」(2020)、Accenture「Getting to Equal: The Disability Inclusion Advantage」(2018)
2.訴訟のコスト
次は「訴訟」のリスクについて。日本では、障害者差別解消法が2016年に施行され、2024年4月からの法改正によって、障害を持つ人へ「合理的配慮」が義務化されました。しかし、アクセシビリティに関する具体的な罰則はまだ整備されていません。
一方、アメリカやEUでは、より厳しいアクセシビリティ法が存在し、特にアメリカでは「Americans with Disabilities Act(ADA、障害を持つアメリカ人法)」がウェブサイトに適用されるケースも多く、訴訟リスクが高まっています。
海外での事業運営におけるリスク
こうした法律があるため、海外での事業運営において、アクセシビリティへの対応は非常に重要です。
アメリカでは、毎年ウェブアクセシビリティに関する訴訟件数が増加しており、2023年には訴訟が2281件も提起されました。特に消費財・アパレル業界、食品・飲料・タバコ業界といった、小売業界が訴訟の対象となりました。訴訟関連でかかる費用も大きなリスク要因です。
日本では月額3万円〜7万円が顧問弁護士を依頼する一般的な相場と言われますが、これに対して、アメリカでの弁護士費用は2000ドル〜5500ドル程度(30万円〜82.5万円:1ドル=150円換算)、訴訟和解金の平均額は5000ドル〜2万ドル(75万円〜300万円)程度であるため、費用負担が大きいことが分かるでしょう。また、違反の程度や件数に応じて、和解金は数千ドルから数百万ドルにおよぶこともあります。
例えば、2008年にターゲット・コーポレーション(アメリカの大型百貨店チェーン)は600万ドルで訴訟を和解し、2012年にはネットフリックスが75万5000ドル、2015年にはハーバード大学とマサチューセッツ工科大学がそれぞれ75万ドルで和解しました。
ネットフリックスの和解の場合、2年以内にコンテンツの100%にクローズドキャプションを提供し、キャプション付きのコンテンツをより簡単に特定できるようにUIを改善することに合意しました。さらに、キャプションに関する質問に対応できるよう、カスタマーサービス担当者に対して研修を実施することにも合意しました。裁判所は、本件の判決条件の遵守を確実にするため、4年間にわたり管轄権を保持し、原告側はネットフリックスの進捗状況を監視しました。
違反による罰金も、各国の法律によって大きく異なります。アメリカでは、ADA違反により、最大で7万5000ドル(1125万円)から15万ドル(2250万円)の罰金が科されることがあります。またEUでは「European accessibility act(欧州アクセシビリティ法)」に違反した場合、国によっては罰金は6万ユーロ以上に及ぶことがあります。アイルランドでは、報告に対する不正や拒否に対して最長18か月の懲役が科される可能性もあります。
引用: Accessibility.com「Complete Report 2023 Website Accessibility Lawsuit Recap」(2024)、株式会社LegalForce 「弁護士300人が回答 顧問契約の実態調査」(2022)、Disability Rights Advocates「National Federation of the Blind and Target Agree to Class Action Settlement」(20080827)、
Civil Rights Litigation Clearinghouse「Case: National Association of the Deaf v. Netflix」(20190221)
Disability Law United「National Association of the Deaf v. Harvard and National Association of the Deaf v. MIT」(2020)、PracticalEcommerce「E.U. Accessibility Act Impacts Global Merchants」(20240430)
3.問い合わせ対応のコスト
2024年4月に施行された合理的配慮の義務化により、障害者からの問い合わせに対して、迅速かつ適切に対応することが法律で義務付けられました。
アクセスしづらいウェブサイトやサービスは、障害のあるユーザーにとってストレスとなり、結果としてカスタマーサービスへの問い合わせが増える可能性があります。
1つの問い合わせに対する対応コストは、業界や企業の規模によって異なりますが、スタッフの労働時間、ツールやシステムの運用費用、研修費用などが含まれます。アクセスしづらいウェブサイトを運営している場合、この対応コストが企業の負担として蓄積されることになります。
障害のある顧客から合理的配慮を求める問い合わせが増えると、その対応には追加のリソースが必要になります。例えば、テキストチャットや電話でのサポートだけでなく、アクセシブルなドキュメントの提供や、音声案内、手話通訳サービスの手配などが求められる場合があります。
4.ブランドの評判とダメージに対応するコスト
ウェブサイトやサービスが障害者にとって利用しづらい場合、その情報がSNSや口コミで広がり、企業への信頼が損なわれるリスクが高まります。このようなブランドイメージの低下は、長期的に企業の売上や市場シェアにも悪影響を及ぼします。
ブランドイメージが損なわれた場合、その回復には大規模なマーケティングキャンペーンが必要となることが多いです。例えば、広告、PR活動、ソーシャルメディアキャンペーン、そして影響力のあるインフルエンサーとのコラボレーションなど、多岐にわたる手段が取られます。これらの活動にかかる費用は、数百万円から数千万円に達することがあります。
特に、若い世代は企業のSDGsへの取り組みを重視しており、アクセシビリティはその基本理念「誰一人取り残さない」に直結しています。SDGsへの対応が不十分だと、若い消費者層からの支持を失い、マーケティングコストが増加する可能性があります。
引用: エンプレス「コーポレートブランディングの費用・相場(内訳あり)」(20240425)、ガールズ総合研究所「20代の約6割が「企業の社会問題の取り組み状況を重視」Z世代の関心が高い「SDGs」の項目とは?」(20240304)
5.後回し対応によるコスト
最後は、アクセシビリティが後手に回った際に想定されるコストです。問題が発覚してから対応を行う場合、ごく短期間での対応が必要になるなど、いわゆる「火消し」的な作業になることが多く、コストが膨らみやすいです。事前に適切な対応をしていれば回避できたはずの問題が、後になって大きな負担となることは少なくありません。
アクセシビリティの問題は、修正が遅れるほどコストが増大する「バグ」と同じです。
バグ修正のコストは、開発プロセスが進むにつれて急増します。設計段階で修正する場合に比べ、リリース後の修正コストは150倍にもなる可能性が高いです。
また、問題が発覚してからデザインをリニューアルするには、数十万円から数千万円の費用がかかり、多くの時間と労力も必要です。その結果、他のプロジェクトが遅延し、競争力が低下するリスクもあります。チームの士気や生産性にも悪影響が生じる可能性もあるでしょう。
逆に早期に対応すれば、メンテナンスなどにかかる費用を抑えることができるともいえます。例えば、リーガル&ジェネラル(イギリスの金融サービス企業)の場合、2005年のウェブサイトのアクセシビリティ改善により、ページ読み込み時間が75%短縮し、年間20万ポンドのメンテナンスコストを削減したと言います。12カ月で投資金額を回収できたそうです。
引用: Barry W. Boehm『Software Engineering Economics』(初版、767ページ)、KBI WEB SERVICE「ホームページのリニューアル費用の相場は?内訳も解説」(20240321)、W3C「Case Study of Accessibility Benefits: Legal & General Group (L&G)」(20091214)
リスクに目を向けることで、ROIを考える助けになる
アクセシビリティ対応によるメリットを考えるのは、難しいかもしれませんが、このように機会損失やリスクに目を向けることで、投資利益率(ROI)を考えやすくなるかもしれません。
メリットを生むカギは、アクセシビリティを後回しにするのではなく、先手を打って積極的に取り組むことにあります。アクセシビリティに配慮したウェブサイトやサービスの設計は、リスクを低減するだけでなく、新たな市場を開拓するチャンスとなります。
また、アクセシビリティへの取り組みを前面に押し出したマーケティングキャンペーンを展開することで、企業のブランド価値を向上させ、社会的な信用を得ることができる可能性もあります。こうしたアプローチにより、アクセシビリティは単なるコストではなく、長期的な成長を支える戦略的な投資となるのです。
グッドパッチは、UI/UXの専門的な知見から、プロダクトやサービスの成長を見据えたアクセシビリティ対応に伴走していきたいと考えています。お手伝いできることがあれば、お気軽にご相談ください。
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