ユーザーの行動をデザインする前に「リグレット・テスト」のすすめ
本記事は、ベストセラー Hooked(日本語版)の著者、ニール・イヤール氏のブログ記事を著者及び記事掲載元から許可を得て、翻訳及び掲載しています。デザインが強力であればあるほど、ユーザーはそのデザインに従った行動を取ります。でも、ユーザーが本当は望んでいなかった行動に導いてしまうことは、倫理的に正しいのだろうか?それは本当に優れたデザインなのだろうか?そんな問いに対し、ニール氏はその名も「リグレット・テスト(後悔テスト)」というアイディアを提案しています。
デザイン、及びデザイナーとしての倫理観について考えたことのある方は是非お読みください。
元記事:Want to Design User Behavior? Pass the ‘Regret Test’ First
Nir Eyal, January 2018 (文中リンクは原文ママ)
リグレット・テストのすすめ – ユーザーの行動をデザインする前に
Illustration by John Devolle
巨大な規模で人々の行動を操ることができる企業にとって、倫理的な責任とは何だろうか?技術者やデザイナー達が世界を変えるようなプロダクトを作る時、この問いを自問していてほしいと願うが、十分に問われてはいない。
操作的な条件付け、断続的な刺激、自己実現の探索 – 世界最大規模の企業で働くプロダクト・マネージャー達が使用するテクニックは、心理学とテクノロジーが対等の役割を担っている。Facebookの創立時社長だったショーン・パーカーが最近認めたように、企業は長いこと「人間心理の脆弱性の搾取」というビジネスに従事してきた。
私達の使うガジェットやアプリは、以前にも増して説得力を持っている。それでもなお、こういったテクノロジーの作成者達に対して、倫理的にユーザーの行動を変えるためのガイドラインは少ししか存在しない。基準が無い中で、ビジネスは浅はかにも、終わりのないエンゲージメント、グロース、そして最終的には利益の探求の限界へと挑む。あるスタートアップのファウンダーが私に語ってくれたのは、「結局のところ私には投資家と従業員への義務があって、人々が私のプロタクトを使用してくれるなら、法を犯さない限り出来ることは何でもやる」ということだった。
テック業界は、警察に捕まることの恐怖よりもマシな理由で正しいことをやろうと決断しなければならない。
ありがたいことに、私の知っているほとんどの技術者やデザイナー達は人々の生活をより良くするために働いている。世界中の起業家達は、カスタマーに愛されるプロダクトを作りたいという大志を抱いている。シリコンバレーの大手テック企業で働いていようと、ガレージから働いていようと、彼らは人々の生活に絶対必要となる改善をもたらすことによって行動を起こさせたいという夢を持ち、その多くは公正明大なやり方でそれに取り組んでいる。
テクニックの使われ方
もちろん、彼らの多くは裕福になることを悪く思わないだろう。だが、このミックス – 違いと利益の両方を作り出す動機 – とは、人類がこれまでに数多くのいまいましい課題を解決してきた方法だ。人々が使いたがるプロダクトを作ることは何も間違っていないが、ユーザーの行動をデザインする力は、倫理的制限の基準とともに生まれてこなければならない。
面倒なのは、ある種の例では一線を超えるテクニックと、他の例では望むべき結果へと繋がるテクニックが同じものである場合だ。例えば、Snapchatが使用するstreaks(友達が写真をシェアした連続日数を数えるもの)は、十代の若者を強制的にアプリへと戻らせているとして批判され続けている。だが、同様の説得的なテクニックがDuolingoでも使用され、新しい言語を学んでいる人々をプログラムに執着させる手助けとなっている。
スロットマシーンに昂じるギャンブラーからお金を吸い取るために使われている報酬変数と同様のものが、小児がんを持つ子どもたちが治療の時に受ける痛みを和らげるためのビデオゲームにも使われている。
明らかに、説得的なテクニック自体が問題なのではない。そのテクニックがどう使われているかが問題なのだ。
しかし、使い方の良し悪しの違いを知るためのテスト無しでは、デザイナー達が道を逸れてしまうのも無理はない。
リグレット・テスト
テック業界には新しい倫理的基準が必要だ。Googleのモットーである「Don’t be evil(邪悪になるな)」は曖昧すぎる。黄金律である「Do unto others as you would have them do unto you(自分がしてもらいたいように人にしてやりなさい)」は、その理由付けに幅を残しすぎる。
私達は、「Don’t do unto others what they would not want done to them(自分がしてほしくないことは人にしてやるな)」と言えるべきだと私は考える。しかし、ユーザーが求めるもの、求めないものを、私達はどうやって知ることができるのだろうか?
私は控え目に、「リグレット(後悔)・テスト」を提案したい。
倫理的に疑問の残る手段を使うべきかどうか確信が持てないのなら、「プロダクトデザイナーが知っている全てのことを人々が知っていたとしたら、彼らはそれでも意図された行動を取るだろうか?彼らはそれを後悔するだろうか?」と問うのだ。
もしユーザーがその行動を取ったことを後悔するならば、そのテクニックはリグレット・テストに不合格であり、プロダクトに組み込まれるべきではない。なぜなら、それは人々が取りたくなかった行動への操作だからだ。本当はやりたくなかったことを誰かにさせるのは、もはや説得ではなく、強制だ。
では、人々がそのプロダクトを使ったことを後悔したかどうか、どうやって分かるのだろうか?それは彼らに聞くしかない。
新機能を実際に展開する前に企業がテストを実施するように、もし次に何が起こるか知っていたら、その疑わしい手段に対して人々が好意的に反応するか、デザイナー達はテストすることができる。
テストを実施する考え方は業界にとって新しいものではない。プロダクトデザイナー達は新しい機能をいつでもテストしている。だがリグレット・テストは、デザイナーなら熟知している「次に起こること」をもし知っていたとしてもユーザーがその行動を取ったかどうか、ユーザーサンプルとなった人々に質問することで、倫理的な確認を一段階差し込むことになる。
このテストは追加的な努力や費用を必ずしも必要とするものではない。Nielsen Norman Groupからの最近の記事の中で、ジェイコブ・ニールセンは「ユーザビリティテストの結果は、多くても5人程度をテストすることで得られる」と信じると書いていた。
難破船
技術的イノベーションの歴史には、たくさんの意図しなかった結果が伴われてきた。文化論者のポール・ヴィリリオがかつて語ったように、「船の発明は、同時に難破船の発明でもあった」のだ。このリグレット・テストの利点は、何百万人ものユーザーの元に届けられる前に、非倫理的なデザインの実践にブレーキを設置することで、意図せぬ結果をいくらか取り除くことができる点だ。
また、リグレット・テストは定期的なチェックインにも使うことができる。多くの人々と同じように、私も自分のスマートフォンからFacebookのような気が散るアプリをアンインストールした。なぜなら、自分が大切に思う人達とその場を共有することよりも、フィードをスクロールすることに時間を費やしてしまったことを後悔したからだ。私のような人々のことを、Facebookはきっと知りたがるんじゃないだろうか?
Facebookだろうと何だろうと、どんな企業も、何の理由であれそのプロダクトにますます憤りつつあるユーザーに耳を貸さないでいると、全体的に見てより多くの人々がそのサービスを捨ててしまうリスクを高める。そしてこれがまさに、後悔を理解することが重要である理由だ。あなたの製品を使ったことを後悔した人々を無視することは、倫理的に悪であるだけでなく、あなたのビジネスにとっても悪だ。
Nir’s Note: Thank you to Jason Amunwa, Rafael Arizaga Vaca, Ahmed Bouzid, Jamie Kimmel, Julie Li, Jennifer McDonald, Bo Ren, Irina Raicu, Julian Shapiro, Shannon Vallor, AnneMarie Ward, Susan Weinschenk, Guthrie Weinschenk, and Casey Winters for reading versions of this essay.