デザインの未来:岐路に立ったら、道を取れ|ドン・ノーマン

本記事は、「誰のためのデザイン?」や「エモーショナル・デザイン」などの著書、TED Conferenceやその他多数の基調講演で世界的に有名なドン・ノーマン氏が、サンマリノ大学デザイン学士課程設置10周年記念に寄せた記事です。

ここで書かれている大きなテーマは、デザインの未来と従来のデザイン教育とのギャップ、そして現代のデザイナーが直面するジレンマです。美しく快いものを作る技術としてのデザインか、思考方法としてのデザインか。私たちには両方が必要だけど、どのようにして両立させ、いかにしてその両方を担うことができる人物を育てることができるのか。大きな問いを投げかける、非常に読み応えのある記事です。本人及び記事掲載元から許可を得て、翻訳及び掲載しています。

元記事:The Future of Design: When You Come to a Fork in the Road, Take It,
著者:Don Norman

デザインの未来:岐路に立ったら、道を取れ

(ドン・ノーマン氏、ニールセン・ノーマン・グループ提供)

デザインは工芸を出発点とし、その焦点は主として美しいものを作ることにおかれ、産業において強力な影響を持つようになった。今日、デザインは工芸としての単純な起源から大きく飛躍し、テクノロジーではなく体験を強調しつつ、人々が世界と関わるための新しく強力な方法を発展させるものとなった。さらに、デザインは思考や課題発見の方法となり、人々の生活や労働者の体験の質、果ては地球の健康状態を高めるものへと進化した。こういった新しい発展は、旧来の工芸が持つ伝統と両立できるだろうか?これは、製品の感情的体験を高めるという工芸の伝統を継続する道を取る人々と、デザイン思考をあらゆる試みに取り入れ、しかし歴史や現代の主流な慣習とは遠く隔たった道を取る人々に分かれる岐路なのだろうか?デザインの未来とは何だろうか?私たちは岐路に立っている。どちらの道を取るべきだろうか?

工芸としてのデザイン

熟達した工芸技能としてのデザインは、使いやすく美しいものを作る。工業デザインという分野は、産業が商用製品を作るのに役立つ。世界中の専門学校や大学では、素描から設計、道具、製造、そして仕上げという工芸技能の習得のために膨大な時間を割いている。実に多くの学校が、こういった工芸的技能以外のものにほとんど時間を使っていない。社会問題や哲学、世界情勢、あるいは一般文学に割かれる時間はほとんど無い。科学、テクノロジー、工学、数学といった基本的なSTEM要素についての訓練は、全く無いと言ってもいい。

私にとって、この差は奇妙に映る。デザインはテクノロジーと人間を結ぶインターフェイスであるにも関わらず、そのどちらについてもほんの少ししか勉強されていない。人間や社会科学に対する深い評価も、科学や数学、工学というテクノロジーにとって不可欠な要素に対する深い理解もない。そこにあるのは熟練の工芸職人によって指導される、職人技能の訓練だ。それがこそがデザインであると言わんばかりである。

その結果生まれるのは、私たちが家や学校、職場で気持ちよく使っている数々の製品を作り出す職人達だ。これはまったく素晴らしいことだが、家庭やビジネス、教育やエンターテイメントにおいてテクノロジーがどんどん洗練されていく21世紀にあたっては、工芸的技術は十分ではない。デザイナーが職人であり続ける限り、付加価値は生み出せるだろうが、リードを取ることはできない。エンジニアやビジネスパーソン達が何をすべきかを決めていく。デザイナーは結果を出すことを助けるが、彼らがリーダーになることは滅多にない。工芸としてのデザインは賞賛に値する仕事だが、野心やその将来性は限られている。

テクノロジー世界は、計算や感知器、コミュニケーション、ディスプレイといった科学技術の根本的な前進や、現代のテクノロジーが社会や環境に与える大きな影響に対する理解の広まりによって支えられた、急速な変化の最中にある。自然資源は枯渇し、地球環境は世界各地で重篤な汚染に苦しんでおり、社会情勢の不安は私たち全員に影響する。気候すら変化していて、世界中の生態系にインパクトを与えている。こういった問題に対処するには、工芸的教育では間に合わない。

エビデンス・ベースドな学問としてのデザイン

伝統的な工芸に基づいたデザインは、確固たるエビデンスを必要としなかった。職人の努力は見る人の目に明白に映るからだ。デザインは、技術を磨いたデザイナー達の感覚によって形作られ、鑑識眼を持つ人々に賞賛されるだろう。このアプローチは、デザインが時計や家電、家具といった比較的シンプルなものを扱っている限り有効だった。コンピューター、コミュニケーション・ネットワーク、強力なセンサーやディスプレイ、そして私たちが日々使う一般的なデバイスでさえも、その導入は非常に複雑になった。人々は混乱し、苛立ち始めた。これらの問題に対応するため、新しい形のデザインが必要になった。もはや感覚だけでは不十分だ。デザインは、テクノロジーに関する知識や、そのデバイスを使用する一般の人々の限界や能力を理解することを必要とした。なぜなら、潜在的なオペレーションなど人々からは見えないからだ。デバイスが理解可能で使用可能であるかどうかは、デザイナー次第なのだ。伝統的なデザイン訓練は、この課題には対応していなかった。

これに対する解決策は、デザインの外側の発展によってもたらされた。「インタラクション・デザイン」、「エクスペリエンス・デザイン」、「人間中心インタラクション」など様々に呼ばれる成果は、主に心理学や人的要因、エルゴノミクス、そしてコンピューター・サイエンスといった学問の発達によってもたらされた。ゼロックス・パロアルト研究所や、その他世界中の様々な大学が重要な役割を果たしていた。私自身は、心理学やコンピューター・サイエンスを経てデザインに足を踏み入れた。今日使われている基本的なコンセプトの多くは、早いものは1940~70年代の間に開発され、コンピューターが多くの研究所や研究者、そして一般の人々にも手が届く存在となったことで、1980年代に急速に拡大した。

サービス・デザインというのは更に別の分野であり、サービスというものが物理的でないことから、デザインの実践方法の変化を象徴した。これは、人間とシステムのインタラクションである。サービスというのは心理学とビジネスのものであって、道具や造形、形状といったものではない。デザインするためには、また違った一連の知識と、評価するためのきちんとした検証方法を必要とする。実際、サービス・デザインの起源はデザインではなくマーケティングや経営学であり、後になってからデザインへと移行してきたのだ。

これら全ての発展が、現代のデザイン活動に組み入れられてきた。そしてデザインが変化するにつれ、その根本も変化した。新しく、デザインとは異なるクラブや学会、そして出版物が、従来のデザインが残した空白を埋めるように生まれ、そこでは既存のデザイン・コミュニティを知らないままデザインを行っている多くのグループが存在していた。すぐに、ヒューマン・コンピューター・インタラクション(HCI)やそれに関するたくさんのクラブ、学会、出版物、さらにコンピューター援用共同作業(computer support of collaborative work, CSCW)が生まれ、「人間中心デザイン(HCD)」、「デザイン思考」といった新しいプロセスやフレームワークが出てきた。その結果が新しい形のデザインの発展だ。あるものはデザイン・コミュニティの外から、あるものはその中から生まれたが、今日においてはデザイナーと非デザイナー(最もよく見られるのは認知科学者やコンピューター科学者)の共同作業によりどんどん生み出されている。

これらの新しい発展の中で最も重要なのは、おそらく人間中心デザインだろう。これは、人々についての深い理解を必要とするプロセスである。まず観察から始まり、その観察を利用して真の潜在的な課題やニーズを特定するための厳密な実践へと移る。これは「課題特定」(課題解決とは対義である)とも呼ばれるプロセスだ。そして、特定された課題やニーズは観察、アイディエーション、プロトタイプ、検証という反復的でエビデンス・ベースドな手順を通して提起され、その反復サイクルの度に、より深いソリューション・スペースへと進んでいく。その結果は増加し続けるイノベーションであり、山登りのようなプロセスを通したソリューションの最適化である。

人間中心デザインには、少なくとも私が定義し実践する限り、いくつかのコアな基本原則がある。

最終成果物は、それを使う人々の生活の質を高めることを目的としている。

  • 解決策へと急がない。課題が与えられたら、まず立ち止まってその課題を観察し、研究し、表面的な兆候ではなく根本的な原因やニーズといった正しい課題が提起されていてることを確かめること。

  • エビデンス・ベースドであり、注意深い観察と分析によってニーズが特定されること。そして観察、アイディエーション、プロトタイプ、検証という反復的なプロセスの中で、可能性を持った解決策を実験的に展開すること。

  • 行動中心であること。作る、検証する、観察するという繰り返しの行動から学ぶこと。

現代のHCDは、多くの分野からの発見を応用させる。HCDはテクノロジーと人間の橋渡しとなり、ものごとを行い、作り、検証し、調査し、もっと良くするために実験し、関連する分野の専門家やそのデザインの対象となる人々と協力することを通して、認知・行動・社会科学における発見を適用させる。HCDデザイナーは連続的なデザインによってリサーチを行い、慎重に状況を分析し、小規模かつ管理された方法でアイディアをテストする方法としてそれぞれのデザインを使い、成果物というエビデンスを指標として利用しながら絶え間なく磨きをかけていく。

人間中心デザインは、導師としてのデザイナーから私たちを引き離す。そして、人々や社会の真のニーズを発見し、提示された解決策を発展させ、テストし、磨きをかけるためのシステマティックな方法を持つ重要な職業へと導く。私たちはこれまで、オピニオン・ベースドな領域にいた。今、私たちはエビデンス・ベースドな世界にいる。私たちは人間中心になったのだ。

デザイン思考

「デザイン思考」というフレーズは物議を醸す。デザイナー達がデザイン思考を話題にし始めて、少なくとも半世紀が経つ。最近になりIDEOという会社によって、マーケティング・スローガンの一部としてでもあるが、息を吹き返した。しかしそれは同時に、デザインを実践する時の人間中心原則の使い方をまったく新しい領域へと割り当てた。デザイン思考の定義は実に多様である。ここでは、私はデザイン思考を「課題のレフレーミング方法としてのHCDの使用」という意味で使う。おそらく、デザインを仕事としない人達に対するデザイン思考のもっとも重要な貢献とは、一歩引いたところで問題を新しく概念化させ、その問題に対して全く異なる視点を持たせるという能力だろう。

私はこのコンセプトとフレーズが、デザインの新しい時代と伝統的で工芸的な時代とをはっきり区別させるのに便利だと思った。デザイナーのことを「デザイン思考者」と呼ぶ時、私たちは聞き手に対し、私たちがフォーカスしているのは美麗なものを作ることではなく、全ての活動に付加価値を与え、世界に対する新しい見方を提供することだ、ということを明確に伝えている。ビジネスにおいては、生産性や効率、利益を重視するという昔ながらの考えを、事務員や労働者、下・中・上層の経営陣、セールス担当、配達人、そしてもちろん消費者やクライアントを含んだ、関係する全ての人々の体験を最大化させるという考えに取って代わらせている。私がずっと働いているヘルスケアの分野において、この視点は驚くほどに革命的だ。

デザイン思考が広く多様な活動、たとえば都市の構造からヘルスケア、交通、あるいは教育システムといったもののデザインまでに応用された時、伝統的な工芸技能の訓練はどんな役割を担うのだろうか?

デザイン教育

現在の教育方法はデザインの未来のために役立つのだろうか?

ヘルスケアが抱える複雑な課題を考えてみてほしい。たとえば、ある病院における手続きの運用を設計し、生産性を高めつつ、関係する全員 – 患者やその家族、様々な専門をもつ医師達、色々な分野の看護師達、技術及び管理業務を行う従業員達 – の体験を最適化するとしよう。伝統的なデザインの履修科目は役に立つだろうか?もっとも近いのはサービス・デザインという科目かもしれないが、伝統的なサービス・デザインはヘルスケアのような複雑なシステムよりもずっと単純な課題に対処するものだ。

世界中のあらゆる国がヘルスケア、教育、そして交通システムの危機に直面している。それに加えて、エネルギーや環境保護の問題、難民への対応、審査者と被審査者の双方を威圧したり品位を落とさせたりすることなく、精密なスクリーニングを可能にするセキュリティーシステムのデザインといったものもある。多くの国々や政治家、そしてビジネスパーソン達はこの問題の規模を認めたがらないが、環境は極めて重要な問題で、デザインがグローバルな変化にもたらすインパクトも同様だ。

伝統的な技術や工芸的技能を追随し続けるデザイン教育者達は、自分たちの功績や、輩出され続ける優秀な職人達を誇りに思うだろう。世界はこういった技術をいつでも必要とするし、そういう学校は卒業生たちの功績を誇りに思い続けるだろう。だが、彼らが象徴するものは過去だ。

未来のデザイナー達を導く存在へとデザイン教育そのものを変貌させるためには、テクノロジーや社会科学、世界、経済、政治、環境問題の複雑さを探求し、そこからより多くを学ぶことを、教育者が学生たちに促さなければならない。来る数十年の間に、デザインは大きな変貌を遂げ、新たな思考方法を約束する領域へと達するだろう。それは、複雑な問題に対する人間中心なアプローチ、つまりテクノロジーに圧政されていたところから、人々に力を与えることへと私たちを動かすアプローチだ。未来の人間中心デザインは、社会の大きな問題を提起する時、まず人間を最初に考える。

現代のデザインは、分析的な分野というよりも創作や行動の分野であることから、その他のアカデミックな学問の大部分とは異なる。デザイナーは実践者だ。だからデザインは大学の中でもユニークなのだ。デザインは、世界を構築し、発展させ、形作るために、大学内の全ての専門分野から得た全ての知識の上に築かれる。デザインは、テクノロジーと人間の試みとを結びつける。実践、行動、創作の分野として、デザインは政治やビジネスという実世界の構造、規則、規制、法律、そして習慣の中で作用しなければならない。デザインは、大学全ての知識を実践的に応用したものなのだ。

今日のデザインは、美しいものを作り出す技術的訓練を受けた人々による工芸にとどまるものではない。そういったデザインは、私たちの生活の中で不可欠な役割を担い、私たちのもっとも基本的な日常のためにさえも、素晴らしい、感情的に満足のいく製品を作り出してくれる。私たちは、デザインのこういった要素を失いたいわけではない。しかし、デザインは快いものを製作する以上の存在になれる。デザインは、システム思考を教え、現代の大学における全専門分野を橋渡しすることで、大学全体の基礎となることができる。

岐路:工芸としてのデザインか、思考法としてのデザインか?

クラフト・ベースドからエビデンス・ベースドなデザインへの動き – 簡単なオブジェクトから複雑な社会技術システムへの動き、あるいは職人からデザイン思考家への動き – が示唆するのは、私たちが2つの異なるデザインの未来を示す岐路に直面しているということだ。

  • 技能と実践
  • 思考の方法

これはまるで、道に沿って旅をしていたら、二手に分かれた岐路に達してしまったようなものだ。一方は工芸としての伝統的なデザインの役割で、人々の生活の中に美しさや快適さを生み出し、ますます強まるテクノロジーの力を利用して素晴らしい体験を作り出す。もう一方のデザイン思考は、思想や発見の手法となり、世界の重大な問題に新しい視点を持ってアプローチし、兆候ではなく根本的な問題を提起しながらも、主として人間にその焦点と注意の先を置く。人間中心デザインだからだ。もはや、経済的な生産性や金銭的な測り方に焦点が置かれるべきではない。その代わり、人間に焦点を置いた新しいデザイン哲学は、人々の長期的な健康や幸福を重要な懸念事項とし、それは同時に私たちの時代における他の重要な問題群も提起する。健康、飢餓、環境、不平等、そして教育だ。

デザインはどちらの道を取るのか?デザインにとって適切な道とはなんだろうか?アメリカの偉大な野球選手、ヨギ・ベラが答えを知っている。このジレンマに対する彼のアドバイスはシンプルだ:「岐路に立ったら、道を取れ!」

デザインの2つの未来

岐路に立った時、2つのオプションのどちらかを選ばなければいけない、というわけではない。これは両方を追究するチャンスでもある。工芸としてのデザインは、人類に偉大なる価値を提供してきた長い歴史を持つ。デザイン思考は未だ証明されていないが、世界に違った形の価値を提供する可能性を持っている。どちらも不可欠であり、だから私たちは両方の方向を取ればよい。ヨギ・ベラのアドバイスの通りだ。岐路だって?道を取れ。

新しいツール、素材、製造方法の世界における、工芸としてのデザイン

工芸としてのデザインの道は、既に十分開拓されてきた。世界中のデザイン学校が、輝かしい結果を生み出すスタジオクラスやワークショップ、メンター方法を発展させてきた。

だが、工芸の将来には探求すべき、発展されるべき多くの新しい分野がある。未来には新たな製造方法、新たな道具、新たな形の会社やコミュニティがあることだろう。あらゆる種類の新たなデザインの機会が現れ、風変わりなインタラクションの方法や、全く新しい体験のかたち、そして既存の活動やサービスを再考することも有り得るだろう。

今後、強力な製作ツールを使い、独学で訓練を積んだ多くの人々がデザインし始めるだろう。これは、ワークショップで教えたり、メンターになったり、プロの助けが必要とされた時に手を貸したりするチャンスを生み出す。商用プロジェクトはいつでも熟練のデザイナーを必要とする。だが、多くの人々が正式な訓練を経ず、自分たちのためにデザインするモノづくり社会が台頭する中で、助けを買って出るデザイナー達のネットワークが繁栄するだろうと私は考えている。インテリアデザイナーが家の内装の仕上げを手伝うように、アドバイスを与えたり、あるいは仕事全体を請け負ったりして、デザイナー達は自分達の技術を新しい方法で実践する機会を見出すだろう。

ただ、世界中の専門学校や大学で行われている伝統的なスタイルの教育が改訂されつつあることに着目しておこう。教育は、フルタイムで数年間に渡り集中的に学習する体験から、生きている間いつでも参加できる独立したコースやワークショップの小さなパッケージへと変化している。オンラインコースの登場により生涯学習が可能になり、デザインコミュニティにおいては、現代的なデザインや製作のツールが誰の手にも届くようになり、幅広いワークショップ、チュートリアルやメンタリングという学習機会とともにモノづくりコミュニティが台頭している。デザイナー達は、講義やワークショップ、コーチングセッションを提供することができる。正式な等級や学位はもはや必要ない。修了証付きのコースやワークショップもあるだろうが、これも常に必要なわけではない。人々は、ただ学ぶ目的としてそういったものを手に取るだろう。

こういったコースやワークショップは、デザイナー達が職人的な技術や能力をデモンストレートする良い機会となる。そしてそれは必ず、大小様々なフルタイムのプロジェクトや、より多くのサービスの需要を高めていくだろう。新しいクライアントを見つけるのに、ワークショップを通して仕事のやり方を示すよりも良い方法があるだろうか?ワークショップや修了証付きのコースは、モノづくりコミュニティのアマチュアにだけ向けられたものではない。こういったものは会社の内部、そして企業研修の基礎的な部分としても需要を増すだろう。

思考方法としてのデザイン

思考方法としてのデザインの道はそれほど発展していない。これは限られた場所でのみ教えられており、各々ベストな方法を見つけようと試行錯誤している。おそらく、もっとも成功しているのは経営学を教えている学校で、今では数々のシニアデザイナー達がそこで教鞭を取っている。なぜそのような場所で上手くいっているのか?それは、経営側にいる人々はすでに世界の諸問題に取り組んでおり、彼らにとってデザイン思考は新しく強力なツールだったからだ。しかし、デザイン思考には異なる場所が似合う。主に経済に重きを置いた、経営学やビジネスを教える今日の学校とは袖を別つ場所だ。

デザイン思考者は、企業の戦略を形作ることから新たな方向性や取り組みを選択することまで、組織の手助けをすることで上層まで登りつめることができる。思考者としてのデザイナーは、経営陣の中でシニアな役割を担うところから始めることができる。それは工芸職人としてのデザイナーからは遠く離れた場所だ。

工芸と思考方法、両方としてのデザイン

デザインの未来が明らかになるにつれ、また岐路の両方が開拓されていくにつれ、どちらか片方を選ぶ必要もなくなるかもしれない。多くの人々は、すでに問題なく両方の役割をこなしている。結局のところ、現代の著名なデザイン思考者の多くは、訓練を受けた工芸職人として始まっているのだ。

工芸の道を取ることを好む人もいれば、デザイン思考の道を行く人もいるだろう。そして多くの人は行ったり来たりして、時に応じてそれぞれの役割を担っていくと同時に、両方のアプローチを混ざり合わせたロールモデルを発展させていくだろう。

デザイナーは行動主義だ。今日の学術世界は、思慮深い思考者を生み出す。今日のデザイン世界は、思慮深い実践者を生み出す。私たちは思考者と実践者の両方を必要としているが、岐路から伸びる両方の道を取らなければならないのと同様に、デザイナーは実践と思考の両方をこなす。デザイン哲学とは、行動によって思考することだ。デザイナーは、デザインすることによってリサーチを行う。長い時間をかけた深い分析、思考やプランニングの代わりに、デザイナーは迅速に実験へと移り、手元にある課題と関連のある世界を調査するために新たなアーティファクトや手順を作成し、そこからどう進めていくかの証拠としてその反応を利用する。これは深く抽象的な思考ではなく、深く体現された思考だ。行動や物理的な構造に体現されていて、抽象的な原則ではなく、調査に対する反応という実世界のエビデンスから情報を得た思考だ。

外部表現は、これまで思考にとって強力なツールだった。書き言葉から始まり、数学や化学、物理学、音楽、ダンス、そして工学のための記号法へと続いていった表記システムは、思考法を大きく前進させた。

デザイナーも、自分達の思考の支援として外部表現を用いるが、彼らの表現はより具体的だ。デザイナーは、描画することによって思考する。描画する時の空間的なレイアウトを利用して、アイディアを向上させるのだ。デザイナーはまた、アイディアをより上手く視覚化し、発展させるために、組み立てたり建設したりする。こういった方法はデザインの工芸的な部分から派生している。これらは建築、設計図、電子回路のデザインやダンスといった、工芸から進化した様々な分野と共通だ。描いて、行動することで学び、思考するのだ。

こういったコアな原則は、あらゆるデザインの力の基礎となる。それが工芸としてのデザインであろうと、思考法としてのデザインであろうと。これは、デザインから派生した数多くの副分野にも当てはまることだ。

岐路に立ったら、道を取れ。


ヨギ・ベラについてだが、彼は田舎にある自分の家への帰り道を案内していた。家に向かう途中の道に岐路があったが、実際どちらの道を取っても目的地にたどり着けた。だから、「岐路に立ったら、道を取れ!」という言葉が生まれたのだ。デザインの場合、岐路における方向性の選択はそれなりに異なる結果につながるだろう。とはいえ、私はそれでも正しい答えは「道を取る」ことだと信じている。私たちはそれぞれの道を取る人々を必要とする。だが個人に至っては、どちらの方向性を取っても正しいのだ。


Chapter prepared for the tenth anniversary of the University of the Republic of San Marino’s offering the degree of Bachelor in Design. and published in Design X. Dieci anni di design a San Marino conuno sguardo ai prossimi cento (Design X. 10 years of design at San Marino with a look at the next 100). Also published as Norman, D. A. (2016). When You Come to a Fork in the Road, Take It: The Future of Design. She Ji: The Journal of Design, Economics, and Innovation, 2, 343-348.
https://doi.org/10.1016/j.sheji.2017.07.003

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