私たちは世界に何を残せるのか──そんな問いを背景にグッドパッチでは「MAKE A MARK」というコンセプトをグループ総会で掲げました。

グッドパッチで働くデザイナーたちは、なぜグッドパッチに集い、これから何を残していきたいのか。MAKE A MARKというコンセプトに沿って、各々が胸に秘めた思いに迫るインタビュー企画。第6回はデザインディレクターの西村が登場。

学生時代から人間工学や人間中心設計(HCD)を学んだ彼が、デザインをキャリアの軸に定めたのは、意外にも30代になってから。経営とデザインを成立させるために奮闘する西村が、デザインの力を使って実現したい世界とは。

デザイナーらしからぬ「はみ出し体質」が行き着いたキャリア

大学では人間中心設計(HCD)について学び、卒業後は三菱電機のデザイン部門に入社しました。当時、まだUXという言葉が当たり前でない時代でしたが、今で言うUXリサーチャーのような動き方をしていました。

5年ほど勤めたのち、転職して複数のベンチャー企業へ。採用や総務、事業開発などさまざまな経験を積む中で感じたのは「デザインはもっと多くのシーンで使われるべきだ」ということ。自分のまっすぐな関心ごとである“デザイン軸”を貫けると考え、Goodpatchに入社しました。僕の場合、デザインを生業にしようと見つけられたのが30代になってからでしたね。

GoodpatchにはUXデザイナーとして入社し、現在は「Studio Q」というチームでデザインディレクターとして複数プロジェクトを担当しています。実は、入社時からマネージャーには「UXデザイナーぽくないね」と言われていて(笑)。

例えば、B2Bサービスの立ち上げプロジェクトにUXデザイナーとしてアサインされたとき。ブランド設計を見据えてUXコンセプトを構造化したり、ソフトウェアのサイト設計に活かすような形で情報整理を行ったり。勝手にはみ出して動いていました。もちろん一人ではできないので、人の力を借りながら。一般的なUXの範囲に閉じず「デザインを用いてビジネスを成立させること」に主眼を置いているんです。だから、あまりUXデザイナーぽくないと思われたのかもしれないですね。

結局、全て繋がっていると考えているから、全部やりたくなってしまうんです。UXやUIの点だけを考えて作ると、いつかどこかで破綻してしまう。それならば、適切なタイミングできちんと線として作れた方がプロダクト品質も上がるし、クライアントの課題にも真摯に向き合えるはずなんです。

全部やりたい。その一方で、絵が描ける、コンセプトを作れる、そういった得意領域がある人への羨ましさやある種の悔しさもあります。僕にとってのそれは、ここ2年くらいで作っていきたいです。

自分が正解だと思うな。歴史から学んだのは驕らず相対化する視点

UXデザイナーとして約4年間経験を積み、現在は新たに発足した「Studio Q」というチームに所属しています。これまではプロダクトやサービスに向き合うことが中心でした。一方、Studio Qでは、これまで以上に経営レイヤーに寄り添うデザインパートナーとして、中長期的にビジネス課題の解決提案を行っています。

プロジェクトスパンも数年単位になることもありますし、内容もヘビーなので泥臭い。でも、デザインを武器に経営まで入り込むために、自分は何ができるのか。どう突破していけるのか。日々挑戦です。

ハイレイヤーへの提案は、これまでと意識を変えなければいけない点もあります。面白い企画だけでは突破できない。それ以上に、長期的な育成計画や社内の組織ごとの方向性の違いなど、複合的に絡み合っている要素をうまく成立させにいく。経営陣の苦渋の意思決定を理解した上で、それに寄り添う提案が必要なんです。

働く上で大切にしている価値観はいくつかあります。一つは「すぐにアウトプットを出すこと」。ポンコツなんです、僕。僕の場合、3時間考えるのと1週間考えるのとあまり質が変わらないなと思っていて。なので、できるだけ早くアウトプットを出して何度も叩いてもらいながら質を高めていくことを意識しています。そうしたら、いつの間にか「神速にしむ」というSlackスタンプができていました(笑)。

もう一つは「自分が正しいと思いすぎないこと」。実は論理的思考がものすごく苦手で。数年前から諸先輩方には、リベラルアーツや歴史の勉強をすべきだとアドバイスをもらっていたんです。ただ、20代の頃の僕は全く興味を持てなくて。

ところが、ふとした時にカントの『純粋理性批判』という哲学書や、歴史を面白く学べる「COTEN RADIO」に出会います。そこからはどんどん歴史の世界にハマってしまって。

たくさん歴史を勉強して思ったのは、正解は時代によって変わってしまうということ。今はいわゆる「個人の権利」が大切にされていますよね。似たような「アイデンティティ」という言葉も戦後くらいから大事にされ始めたと言われています。でも、50年前の世代って価値観も評価される人も全然違う。だって、昔は「お国のため」っていう価値観だったじゃないですか。今の僕が正しいと思っていることは、歴史的に本当に正しいかなんて分からないんです。

唯一言い切れるのは、クライアントさんの思いを最大化することが直近の使命だということ。そこに関しては揺るがない気持ちを持っています。

あとは「満足しないこと」でしょうか。僕のアイデアや考えなど、世界トップの人たちと比べたらしょぼい。佐藤可士和さんと比べたら……と常に意識するみたいな。もちろん、手を抜いているわけではありませんよ。

人間ですから常に「正解」を出すわけではないですし、彼らが素晴らしいとただ崇めたいわけではない。でも、事実として自分以上のアウトプットを作れる人はたくさんいるわけで。自分は常にしょぼい立ち位置にいて、するとしたら小さな満足だけ。自分の立ち位置を常に相対化することには気をつけています。

同じ考え方で、僕、イチローのエピソードを大切にしているんです。彼は、国民栄誉賞を3度も辞退しているんですよ。「自分はまだ発展途上でもらう立場にない」という理由で。そういう感覚は大事にしたいなと思っています。

そういう意味では、逃げなのかもしれないですが、奇跡的に社内表彰でMVPなどに選ばれることがあったら、うれしいと思う一方で躊躇したり、もしかしたら断っちゃうかもしれない。1位になっちゃったら僕、調子に乗っちゃうと思うんです(笑)。

デザインの力で、社会の「閉塞感」を和らげたい

この先、何を残せるかは分かりませんが、多分、社会から要求されているものを作り続けていくんだろうなと。カントは今では偉大な哲学者として有名ですが、60歳くらいまでは評価されていなかったそうです。後になって身を結んだ。僕も、今できることをやり続けていきます。社会から求められることと自分ができることの掛け算で。

もう少し長期的な目線では、「平等」や「自由」について考えています。最近デヴィッド・グレーバーの『万物の黎明』という本を読んで影響を受けていまして。平等って自由に深く関係しているんじゃないかと思うんです。例えばですが、移動のハードルを下げて、移動の自由が得られると、もっと面白い世界になるんじゃないかと。

デザイナーでいえば、世界中のデザイナーがうまく繋がってその繋がりの中で移住なり、一定身を置いて暮らせるようになる世界。その地域でデザインを学問として学んでいる人や、生活者のインサイトを発掘するために、地域に潜り込んでエスノグラフィーをしている人など、デザイナーは各地に散らばり暮らしているはずです。

加えて、その地域によってビジネスモデルやトレンドって異なりますよね。そんな人たち同士の出会いを創出して、合同で企画提案などできたら面白いんじゃないかと。デザイナー同士、アイデアを融合できたら楽しいでしょうし、より表現の幅も広がると思うんです。

今って、トレンドのアプリデザインはこう。というのが一定決まっているじゃないですか。それに少し飽きちゃってるんです。そこを一歩踏み出せる新しいスタイルを作れたら面白いんじゃないかなと考えています。

このスタイルは組織にも置き換えられると思っていて。簡単に転職できないとか。これもある意味で、移動の自由が制限されていると言えますよね。結果として、閉塞感のようなものが生まれてしまう。これをデザインのアプローチで解決できたら面白いじゃないですか。選択肢が増えることで、自由や平等に少しでも近づけられたらいいなと。

少し未来を想像して、2000年後くらいに「移動の自由を平等にしていく動きが、日本のあるデザイン会社から始まった」みたいな歴史的影響を与えられたら面白いなと。あくまで一例ですが、こういったインパクトある出来事のきっかけになり得るか、という視点も持っておきたいと思っています。